題目:隠れて行いなさい
本文:マタイ6:1〜8
日付:2021年12月5日
説教者:川谷真平牧師

12月の最初の主日礼拝を神様にお捧げしました。今年も残り1ヶ月を切りました。もうすぐクリスマスです。最後まで全力を尽くし、喜びを持ってクリスマスを迎えたいと思います。

本文はイエス様が宣べ伝えた山上の垂訓のみことばです。イエス様は、どのように施しを行うべきか、またどのように祈るべきかについて教えてくださりました。

「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。」

神様を信じる者は、人からの報いではなく、神様からの報いを求めて生きなければなりません。この世の者たちは皆、他の人から認められることを願います。誰かに褒められたいという欲求を持っています。その欲求を満たすために生きていると言っても過言ではないでしょう。

神様を信じる者が世の者たちと同じになっている姿はないでしょうか?「だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。」「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。」

「まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。」人から報いを受け取ってしまうと、神様から報いを受け取れなくなります。私たちは、天におられる神様と正しい関係を築く必要があります。では、どうすればいいのでしょうか?

「あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。」「あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

「あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

私たちは良い行いを人に見せようとします。しかし、悪い行い、すなわち罪は、誰も見ていないところで犯します。「誰も見ていないから罪を犯してもいいだろう」という軽い心が人に罪を犯させます。

軽い心とは、神様を軽んじる心です。誰もいない訳ではありません。神様は隠れた所で見ておられるお方です。人々は神様に対する恐れがないから、誰もいない所で罪を犯します。

神様は隠れておられます。私たちはそのお方を信仰の目で見ることができます。真理に目を開き、神様と顔と顔を合わせて見つめ合い、生きていきましょう。アーメン。