題目:種まきの例え(2)
本文:マルコ4:2〜9
日付:2021年8月22日
説教者:川谷真平牧師

前回に引き続き、イエス様の種まきの例えを見ました。天の御国は、人が地に種を蒔くようなものです。

道端とは、みことばが心に入らなかったことを意味しています。私たちはみことばを聞くとき、心を開かなければなりません。

別の種は土の薄い岩地に落ちました。土が深くなかったのですぐに芽を出しましたが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまいました。

岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

石が多いと、みことばが心の奥深くに入りません。みことばが心の奥深くに入らないと、みことばを聞いても、その喜びと感動は長く続かず、一時的なものになってしまいます。ですから、岩は取り除かなければなりません。

また、別の種がいばらの中に落ちました。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結びませんでした。

いばらの中に種が蒔かれるとは、みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、みことばをふさぐので、実を結ばないことです。

私たち人間は、お金に関する心配事が多いです。そして、欲望が多いことも、否定することができません。そのようなものが多いと、みことばの種はその人の中で大きく育ちません。

生きるために食べるのに、食べるために生きていないでしょうか?生きるために服を着るのに、服を着るために生きていないでしょうか?私たちにとって本当に重要なことは何か、人生の優先順位を深く考えて生きなければなりません。

また、別の種が良い地に落ちました。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になりました。みことばを聞いて受け入れる者は幸いです。アーメン。