題目:私たちの心はうちに燃えていたではないか
本文:ルカ24:13〜35
日付:2018年10月28日

24:13この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、 

24:14このいっさいの出来事について互に語り合っていた。

24:15語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。 

24:16しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。 

24:17イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。 

24:18そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。

24:19「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、 

24:20祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。 

24:21わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。 

24:22ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、 

24:23イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。 

24:24それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。 

24:25そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。 

24:26キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。 

24:27こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。 

24:28それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。 

24:29そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊まり下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。 

24:30一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、 

24:31彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。

24:32彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。 

24:33そして、すぐに立ってエルサレムに帰って見ると、十一弟子とその仲間が集まっていて、 

24:34「主は、ほんとうによみがえって、シモンに現れなさった」と言っていた。 

24:35そこでふたりの者は、途中であったことや、パンをおさきになる様子でイエスだとわかったことなどを話した。


本文は、イエス・キリストの復活の話です。ふたりの弟子が、エルサレムからエマオという村に向かっていました。その途中で復活したイエス様と出会います。

しかし、二人はその人がイエス様だとわかりませんでした。そこで、イエス様は二人に御言葉を伝え、食事を共にされました。すると、彼らの目が開かれてイエスであることがわかりました。

キリスト教の象徴は十字架です。十字架は、イエス・キリストを信じる全ての教会に誇らしく掲げられています。私たちは十字架の意味を知らなければなりません。

イエス・キリストの死は、全ての罪人のための贖いの死でした。イエスが死に、私たちが生きるようになりました。十字架は私たちに対する愛です。

復活した主に出会ったとき、弟子たちの心が熱くなりました。その後、弟子たちは使徒となり、イエス・キリストの十字架と復活の証人として、福音を宣べ伝えました。主によって遣わされ、キリストの福音を宣べ伝えましょう。アーメン。