題目:未来を見つめる目
本文:ヨハネ9:1〜7
日付:2021年6月27日
説教者:川谷真平牧師

ヨハネの福音書9章には、生まれつきの盲人が登場します。弟子たちが彼についてイエス様に質問をしました。

「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」。彼本人が罪を犯したから、または、彼の両親が罪を犯したから、彼は盲目に生まれついたと弟子たちは考えていました。

弟子たちの人を見る目が「現在」と「過去」にあったことがわかります。普通、人間はそうです。私たちは人を見るとき、その人の今現在の姿、また過去の姿を見て判断します。

しかし、イエス様は弟子たちにこのように答えられました。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」。

彼は生まれついた時点で盲目でしたが、イエス様は、彼が生まれた時点、また彼が生まれる以前のことに関心をお持ちではありませんでした。イエス様の目の焦点は、彼が生まれた後、そして、今ご自分と出会ったことに置かれていました。

イエス様は彼の未来を見ていました。信仰とは、現在や過去ではなく、未来を見つめる目を持つことです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」(ヘブル11:1)。

今、この生まれつきの盲人に神様の御業が現れました。それは、イエス・キリストによる救いの御業です。

私たちは、自分の今現在の姿、そして過去の姿を見て落胆し、失望します。明るい未来を思い描くことができず、絶望してしまいます。しかし、神様に対する信仰を持って生きる人生には、未来への希望があります。

コロナで苦しんでいる人たちが大勢います。今週から7月に入りますが、人々をイエス・キリストの御名によって救い、神様のもとへ導きたいと願っています。アーメン。