題目:尊い器
本文:第二テモテ2:20〜22
日付:2021年7月4日
説教者:川谷真平牧師

7月最初の主日礼拝を、愛する兄弟姉妹とともに神様にお捧げしました。今月も神様が東京あいのひかり教会を守ってくださり、希望で満たしてくださることを願います。

本文において、使徒パウロは人間を「器」に例えています。器には色々な種類があります。金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。

金や銀の器は華やかで見栄えが良いため、多くの人たちがそれらを好んで使うでしょう。一方、木や土の器はみすぼらしく、汚れているように感じられるため、多くの人たちは使うことをためらう、というのが普通ではないでしょうか。

しかし、私たちの目線と神様の目線は違います。大切なことは、神様のお目にかなう「器」となることです。器は器そのものに価値があるのではありません。その器が誰によって、何のために用いられるかによってその器の価値が決まると言うことを、使徒は話しています。

人間によって不義のために用いられる器に価値があるのではありません。神様によって義のために用いられる器に価値があります。

では、どうすれば、神様によって義のために用いられる器になることができるのでしょうか?「ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります」と、使徒パウロは言いました。すなわち、「聖い」ことが重要です。

「それで、あなたは、若い時の情欲を避け、きよい心で主を呼び求める人たちとともに、義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」。信じる者は、体をきよく保ち、また心をきよく保たなければなりません。情欲を避け、不義を行わず、兄弟姉妹とともに義と信仰と愛と平和を追い求めるならば、神様に用いられる尊い器となります。アーメン。