題目:サラの笑い
本文:創世記18:1〜15
日付:2021年9月19日
説教者:川谷真平牧師

アブラハムの妻サラが男の子をみごもると、主は約束してくださりました。しかし、それを聞いたサラは心の中で笑いました。

「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで」。この時、アブラハムは百歳、サラは九十歳であったと聖書に記されています。

なぜ、サラは笑ったのでしょうか?主の約束が伝えられた時、サラは真っ先に自分の姿を見ました。さらに、アブラハムの姿を見ました。二人は年を重ねて老人になっており、すでに子供を産めるような体ではありませんでした。

「そんなこと不可能だ」とサラは思ったでしょう。サラは現実的に考えました。それでも、サラは主の約束を聞いて嬉しかったと思います。希望を抱いたはずです。「現実的には不可能である。しかし、もし本当にそうなったらいいな・・・」。サラの中で現実と希望が交差しています。

サラには欠けていたものがありました。それは信仰です。信仰とは、不可能を可能にする神様を信じることです。「主に不可能なことがあろうか」と神様は仰りました。

その通りです。私たちには不可能なことでも、神様には可能です。だから、私たちは自分たちの現実的な姿ではなく、神様を見なければなりません。神様のみことばを確信を持って受け入れること、それが信仰です。

主を信じる者は、希望が希望で終わりません。その希望は必ず実現します。このことを信仰をもって受け入れる人は幸いです。アーメン。